アイアンボーイのひとりごと

ひとりごとや海外生活について

自分で決めたことなら後悔は生まれにくい、という話

世の中には自分のことを自分で決断する人と、自分のことなのに他人に決断を委ねる人がいる。

 

前者は、今日の昼ごはんは何にするかと言ったちょっとしたことから、どんな仕事をするか、転職するか、どこに住んで家は買うべきかどうかと言った人生の決断までを自分で決断するタイプだ。

 

後者は、完全に人に流されるタイプ。昼ごはんは一緒に行く人に全て決めて欲しいし、親や周りの人が良いと認めるというだけで仕事を選び、会ったこともない大多数の人が歩んでいる画一的なレールを、とりあえずみんなと一緒が安心だからという理由で人生を決める。行きすぎると、占いで全てを決めようとする人さえいる。

 

この二つのタイプで、いざ何かに失敗した時に後悔しにくいのはどちらだろう。

 

これは明らかに前者だろう。自分で決めたことは失敗したとしても誰のせいにもできない。人は自分の決断を正当化しやすいというバイアスもあり、失敗したことに対してポジティブに捉えることも多い。自分で決めて仕事選んだけど合ってなかったな、けどこれも経験だ、などだ。

 

一方で後者は、失敗したときに誰かのせいや世の中のせいにしやすい。だがそうしたところで自分の人生が変わるわけではない。それに価値観が全て世間の基準なので、やりたい事があってもどうせ自分には無理と可能性にフタをして、後から後悔したりする。

 

人が死を前にして後悔することの一つに「もっと自分に正直に生きればよかった」というのがあるらしい。

 

別の記事にも書いたが、失敗したところで別に命まで取られたりしない。であれば、できるだけ多くのことを自分で決断することが人生の満足につながるだろう。

 

さて、皆さんはどう思うでしょうか。

何かに失敗しても命まで取られるわけではない、という話

人生では大なり小なり色んな挑戦があるけど、共通しているもっとも大事なことは、

 

失敗したからといって命まで取られることはない

 

ということである。

 

そう思うと意外と気楽に楽しめるものである。と思うのだが、そうは思わない人もたくさんいる。どんなにつらい職場でも無職になりたくない一心で体を壊すまで働いたり、やってみたいことがあるけど失敗を恐れて動けなかったり。

 

しかし考えてみると失敗のデメリットってなんだろう?

失うものはなんだろうか?

 

まあせいぜい、お金か仕事かよく分からない世間体みたいなものだけではないだろうか。

 

お金はまた稼げばいいし、仕事だって全く見つからないということはない。世間体なんて本人が気にしているだけで周りはなんとも思ってないし、仮に思っていたとしても知らない人からどう思われたって自分の人生にはなんら影響ない。

 

逆に失敗することのメリットはなんだろう?

 

これは明らかに経験と知識がつくことである。二度目はもっと上手くやれるかもしれないし、三度目はさらに経験がつく。

 

そうすると失敗することはむしろ得に思えてくる。

 

自分が今やってみたいこととか、二の足を踏んでいることについて、失敗した場合のデメリットを考えてみると良い。大丈夫、命を取られることなんてない。

 

さて、皆さんはどう思うでしょうか。

先が分からない事は不安になるよりワクワクしたほうがお得である、という話

先が分からないというのは、ワクワクすることか、それとも不安なことか。

 

先が分からないというのはワクワクを作り出すことができる。遠足の前日など良い例だが、未来に起きる楽しいことを想像して心が躍る状態である。

 

一方で、なぜか自分の人生についてだと不安を作り出してしまう人は多い。

 

未来は分からないから不安になるというのは理解できるが、起こりうる悪いことばかりを想像していないだろうか。遠足の例えで言ったら、雨が降ったらどうしようとか当日に風邪をひいたらどうしようなどと悩むようなものだ。

 

先が分からないということは考え方次第で楽しみにもなるし、不安にもなる。

 

もちろん、起こりうるネガティブなことに対して準備するのはいいことだ。だが不安に思ってもどうしようもないことまで考える必要はない。遠足の日に雨が降ったらどうしようと思ったところで天気を変えることはできないのだから、悩む必要はない。

 

将来病気になったらどうしようと考えても、できるのは今予防できる病気を予防することだけだ。それ以外の運や遺伝による病気を心配しても防ぎようがない。不安になって悩む時間が損だ。人生の時間が限られてるからこそ、逆に将来の楽しみなことをたくさん考えることをしてみよう。大きなことでなくても、今日は返ったら週末は何しようかなとか、次の旅行はどこに行こうかな、などでもいい。

 

僕はよく次の旅行先を調べて、まだ行く予定がなくてもその土地の観光を調べてみたり、仮にいくとした場合の航空券を検索したりする。こうするだけでワクワクできる。

 

人生の残りの時間を1秒でも楽しくするために、未来の不安よりもワクワクすることを考える方が大変お得であると思う。

 

さて、皆さんはどう思うでしょうか。

日本は堂々と商品の値上げをすればいい、という話

先週末にタイのバンコクに行ってきた。

 

バンコクの中心地

最後に行ったのはコロナ禍前の2019年なので実に3年ぶりなのだが、観光客もかなり多く、飲食店も普通に営業していて活気が戻っているように感じた。

 

バンコクは日本に比べるとまだ物価は安く、特に屋台などではかなり安くローカルフードが食べられるが、ショッピングモールのレストランなどは日本と同等かそれ以上する場合も多い。僕が住んでいるマレーシアのクアラルンプールも同様で、ちょっとおしゃれなレストランやモール内のチェーン店などは日本よりも高かったりする。

 

東南アジアは経済発展とともに物価や賃金が徐々に上がってきていて、旅行に行くたびに少しずつ商品のクオリティとともに価格も上がっていっているのを実感できるが、日本と違ってごく当たり前に値上げをしている。

 

日本はまだまだ企業が値上げすることに抵抗を感じていて、ちょっと値上げするだけでお詫びを表明したりする。7月に一時帰国した時に博多のとある飲食店に行ったのだが、店内に値上げのお詫び文が貼られていた。

 

「値上げは悪いこと」という価値観が根強いから値上げをお詫びしたり、商品の内容量を減らしてお値段据え置きの俗にいうステルス値上げなどが起こるが、こんなことをせずに堂々と値上げすればいいと思う。

 

特に昨今はコロナや世界情勢によって資源や物流のコストが跳ね上がっており、今までの価格で売れば当然赤字になるわけで、そんなことをしても長くは続かない。結局コスト増の皺寄せで賃金上昇などできるはずもなく、そこで働く従業員も客として安い商品を求めるようになる。

 

「お客様のために値上げしません」というのはその目の前の客にとっては得かもしれないが、巡り巡って世の中のみんなが損をすることになる。

 

安売り戦争をしている限りみんなでジリ貧になる道から脱することはできないのではないだろうか。

 

さて、皆さんはどう思うでしょうか。

日本の労働法はじつは労働者に超有利、という話

会社は労働者を雇用契約で雇い賃金を支払って働いてもらうわけだが、雇用や労働条件に関しては労働基準法が定められている。

 

労働者が会社にこき使われて酷使されているなんていう状態もあるが、実は日本の労働基準法は労働者側に超有利に作られている。

 

例えば有給休暇は本来理由に関係なく使っていいし、忙しいから使ってはいけないということもない。会社は有給取得を拒否することはできず時季変更権のみがあるが、それを行使するのも厳格な基準があり、忙しいからという理由だけでは有給をずらしてもらうのは難しい。

 

しかしなんと言っても労働者側が圧倒的に有利なのは解雇に対してである。労働者は会社が嫌なら退職は自由だが、会社側は従業員が嫌でも解雇は超難しいとい。会社は従業員がちょっとくらい能力が低いとか、教育にかなり手がかかるなどでは解雇できない。

 

これは一方からの離婚は法的にかなり困難な夫婦関係に例えるとアンバランスさが理解できる。片方からの離婚は簡単で理由を問わず相手側は拒否できないが、他方からの離婚は結婚生活が困難で離婚以外の道がないことを客観的に証明しなければならない夫婦のようなものだ。

 

解雇しやすくしようという議論はずっと行われており、解雇規制緩和というが、僕はこれに賛成の立場である。解雇であれば失業保険がすぐにもらえるし、再就職をしてもどうにも仕事が見つからなければ生活保護もある。一方で会社側も人員整理ができれば本当に必要な人の賃金を上げることもできるし、解雇できるなら試しに採用してみるということで雇用しやすくなる。仕事が見つかりやすいなら無職になることもそんなに怖くなくなる。

 

ということで僕は日本の労働法は解雇については労働者側に有利すぎてアンバランスなので見直した方がいいのではと思う。

 

さて、皆さんはどう思うでしょうか。

私はこういう性格と決めつけるのはよくない、という話

あなたはどんな性格ですか?と聞くと、明るいとかポジティブとか無口とかネガティブとかそれぞれあるだろうが、果たして人にもともと備わった性質や性格って存在するんだろうか?

 

明るい性格と言われる人でも状況に応じて暗くもなるし、無口と言っても相手によっては饒舌になったりする。結局、性格というのは状況や相手によってとる行動パターンであって、生まれ持った何かの特質のようなものではない。

 

しかし、私はこういう性格ですとか、あなたってこういう性格だよねと言われてしまうと、それが呪いとなってその性格のイメージに合うような行動しかとらなくなるかもしれない。

 

なので、私はこういう性格です、と決めつけるのはやめよう。というか自分のことなんて自分が一番よく分かってないし、誰に聞いてもわからない。

 

私ってどんな性格?とAさんとBさんに聞いたら全く違う答えが返ってくることもあって、これはAさんとBさんそれぞれの前での行動パターンが変わるからである。

 

結局、自分にも他人にも分からない性格なんていうものは存在しないのかもしれない。僕も自分の性格とかよく分からないが、考えても仕方ないし大した問題でもない。

 

自分で思い込んでる性格が足枷となって何か行動できない人は、性格を変えるんじゃなくて性格なんてわかんないと思ってみるといいのではないだろうか。

 

さて、あなたはどう思うでしょうか。

感情のコントロールができないと損をする、という話

世の中には感情、特に怒りの感情をコントロールできずに周囲に撒き散らす人がいる。

 

店員に土下座を強要したり煽り運転したりするのはもっともたる例だが、不機嫌な態度を撒き散らしている人なんていうのは多い。かくいう僕も昔不機嫌な態度をよく出してしまって失敗したことがあるが、だいぶコントロールできるようになったと思う。

 

どうにかしてコントロールできるようになったというより、怒ったところで何もいい事がないと理解できるように。せいぜいその時に感情を出したいという欲求を満たするくらいのもので、周りは迷惑だし問題は解決するわけではないし、ただ損をするだけである。

 

怒りの感情を出す前に6秒我慢するとか色々テクニックはあるが、一番有効なのはそれによって何か問題が解決するのかと考えられるようになる事だろう。

 

怒って問題が解決するケースなんてほとんどない。交渉ごとだったら冷静に話し合うべきだし、電車が遅れて遅刻したみたいに状況が思い通りに行かないといった理由も怒ってもどうしようもない。すごく理不尽な相手に絡まれた場合もさっさと逃げるのがいい。

 

しょうもない理由でも、相手に謝らせたいとか煽り運転で威嚇したいというという怒りの感情は割と動物の本能に根ざしている部分なのかもしれない。しかし人間には本能をコントロールする理性が備わっているから、それを理解すればできないことはないはずだ。

 

ということで、僕は感動とか楽しいとかの良い感情は思いっきり出すようにし、怒りなどの感情はできるだけコントロールすることにしている。

 

さて、あなたはどう思うでしょうか。