アイアンボーイのひとりごと

ひとりごとや海外生活について

帰り道を少し変えるだけで楽しくなる、という話

多くの人にとって通勤は日常の習慣なので、大体同じ経路を使うと思う。

 

慣れきっているので景色を見ながら歩くこともないし、考え事をしながら歩いても無意識に家に着いてしまう。考え事はその日会社であったストレスかもしれない。

 

たまに帰り道の経路をちょっと変えてみる。できれば歩いたことがない経路を使うといい。そうすると見たことない景色に出会えるし、新しいお店を発見するかもしれない。考え事をする暇がなくなり、その瞬間はストレスから解放される。

 

このように日常にちょっとだけ新しい要素を追加すると、ささいなことでも楽しくなれる。帰り道をちょっと変えることはその一つだ。

 

・買ったことないお菓子を買ってみる

・使ったことない調味料を使う

Kindleで1巻無料みたいにとりあえず試し読みできる漫画を読んでみる

WikipediaYouTubeで全く知らないことを調べてみる

 

新しい習い事とか行ったことない国とかではハードルが高いが、こういうことなら簡単に試せるし、リスクはほとんどない。これが意外な発見につながるかもしれない。

 

何も思いつかないなら、とりあえず明日の帰り道は少しだけ経路を変えてみよう。

人は今の状態がずっと続くと思いやすい、という話

あなたは10年後、何をしていると思いますか?

 

自分が10年後にどこに住んでどんな仕事をしていて、どんな社会に生きているかというのを想像する時、今思いつく範囲のもので考えてしまいやすい。だが、実際は今では思いもよらない世の中に生きることになると思う。

 

人は自分の生活環境や社会の変化に対して鈍感で、10年後も20年後の未来を想像するとき、今の状態を基準にしてしまう。今の状態がずっと続くと思いがちだということだ。

 

一番想像しにくいのは、社会を変えるほどの技術の進歩だ。

 

ICカードSuicaが誕生したのが約20年前。携帯電話もカメラ機能搭載が普及し始めたくらいで、ようやく友達に写真を手軽に送ることができるようになったくらい。当然スマホSNSもない。Twitterの誕生が約15年前で、LINEの誕生でさえ約10年前。この20年でとてつもないほど生活が一変したのがわかる。当時の人に後に20年後にYouTuberやプロゲーマーという職業ができたり、世界中の人のつぶやきを瞬時に手のひらサイズのコンピュータで読めると言っても想像できないだろう。

 

そうすると、10年、20年後でさらに世の中は変わっているだろう。5年後ですら想像するのは難しい。現在では存在しない職業もあるだろうし、逆に今ある職業の中で消滅するものも当然出てくるだろう。僕が子供の頃は駅の改札で切符を切る人がいたが、もういなくなった。

 

未来が想像できないからと言ってそれは悲観することではなく、むしろ今後どんな世の中になるのかとワクワクすることができるだろう。

 

さて、皆さんは10年後どんなことをしているでしょう。

とりあえず寝るのが大切、という話

僕はここ3年くらいは毎日8時間くらい寝るようにしているが、コロナ前は通勤に1時間かけていたこともあって、毎日6時間くらいの睡眠しか取っていなかった。

 

8時間睡眠になって何が変わったか、というと一つ挙げるとすれば当然だが目覚めはよくなったかもしれない。だが、自覚できない部分でも睡眠による恩恵はかなり受けていると思う。

 

睡眠時間は心身の健康にとにかく大切で、身体的な病気だけでなく精神疾患のリスクにも関係している。体重の増減や認知能力にも影響することもわかっていて、6時間睡眠が1週間続くと1日徹夜した脳と同じパフォーマンスになるということもある。しかも本人はそれに気づかないなどということもあるようだ。

 

睡眠を削ればその分時間が生まれてその時は得したように感じるかもしれないが、トータルで見れば大きく損をする。

 

もちろん最適な睡眠時間は人それぞれなので短くても全く問題ない人もいるだろうが、ほとんどの人にとっては8時間前後くらいが良いらしい。

 

何かを改善したいなら、最優先事項は寝ること、というのは間違いなさそうだ。

 

さて、あなたはどう思うでしょうか。

やればできると思うこと自体が大切、という話

楽器の演奏やスポーツや語学など、何でもそうだが誰もが最初は初心者だ。

 

興味を持って学び始めて、最初はどんどん上手くなるけどある時から停滞して、いつの間にかやらなくなってしまう、という経験をした人は多いかもしれない。

 

途中で停滞してしまうと、このまま続けてもこれ以上上手くならないのではないかと思ってしまい、未来に対する期待が薄れて興味までなくなってしまうからなのだが、一方で、途中で停滞したり失敗したりしても粘り強く続ける人も存在する。

 

この違いは何だろうか。ということで教育心理学などでは多くの研究がなされているらしく、書籍などもでている。

その中でも特に重要なのは物事に対する捉え方だ。

 

・続ければ成長できると捉えるか、自分の能力は決まっているのでこれ以上は伸びないと捉えるか

 

前者は、持っている才能や環境は人それぞれだが継続すれば能力は伸ばすことができる、と考えている人たちだ。今停滞していても、継続することでまた伸ばせると信じてるから、それ自体が未来への期待となってモチベーションが湧くのかもしれない。

また、他人からの評価よりも自分自身が成長できるかどうかを基準にしているため、どんなに周囲が才能ないからやめとけなどと言っても気にしない。

失敗したとしてもそれはやめる理由にならず、むしろ次回への教訓と捉える傾向もあり、より成長する確率が上がる。

 

他方で後者は、これ以上続けても進歩はないと決めつけているので、時間の無駄と感じてしまったり未来に期待できなくなる。

また、続ける意義が他人からの評価に依存していることも多く、それ以上上手くならなければ評価されないし、失敗を敗北と捉えて挫折してしまう。

 

これは、心のあり方の問題で、自分で決めることができるということが重要だ。つまり、今取り組んでいることに対して、継続すれば能力は伸ばせると思考を変えることができる。

 

成長速度なんて人それぞれだ。昨日できなかったことがたった1つだけでも今日はできると思えばそれで成長だ。語学だったら昨日は知らなかった単語やフレーズを1つ知るだけでもいい。

 

ともかく、自分の限界を決めつけずに、続ければ能力は伸ばすことができるという信念を持ち続けることそれ自体が大切だろう。

 

さて、あなたはどう思うでしょうか。

人は周囲との比較で不幸や幸福を感じやすい、という話

人は無意識に他人との比較で不満や満足を感じやすい。

 

例えば年収500万円で働いている人が周囲が700万円だと知ると不満を覚える。逆に周囲が300万円で働いてると知ると仕事に対して満足感を得やすい。自分の給料は変わらず、つまり生活レベルも変わらないのに、周囲がどうかで仕事に対する満足感が変わるということが起こる。

 

周囲が自分より豊かかそうでないかで、自分の感じ方が変わってしまうと言うのは不思議だが人間心理としてはよくある話だ。

 

生活レベルで言うなら、現代人は数十年前の大富豪や王族ですらできないほど贅沢な暮らしをしている。世界中の美味しい料理が安く手軽に食べられ、行こうと思えば簡単に海外にも行ける。インターネットの発達でかつては想像もできないほど娯楽に溢れており、遠く離れた人とも顔を見て話せたり遊んだりできる。莫大な財産をあげるから数十年前の水準の生活をしろと言われても絶対したくない。

 

だが100年前の人類と比べて幸福度が高いかと言うと怪しい。というより人類の悩みは何千年も前の哲学者が全く同じことを議論していることを考えると、現代人もたいして幸せを感じていないのかもしれない。

 

なぜかと言うと、我々は今現在の周囲の人間と比較してしまうからだ。日々の生活の中で、同僚や友人やSNS上の誰かと比較し、自分がどの位置なのかで幸福になったり不幸になったりする。

 

人は社会の中で生きている以上は他人との比較を完全に断ち切るのは難しいかもしれない。だけど、自分の今の感情は他人との比較で生じていないかと一歩引いて理解できれば、自分が実はとても恵まれていて幸せを感じられるかもしれない。

 

さて、あなたはどう思うでしょうか。

不倫に対する過剰なバッシングはなぜ起こるのか、という話

たまに起こる有名人の不倫問題。

 

だいたい週刊誌などが暴露して本人が謝罪会見を開いて、SNSで一般人が当人を叩いたりワイドショーのでコメンテーターが真面目に論じて視聴者がそれをみる。

 

結局、週刊誌にしてもワイドショーにしてもなんで不倫問題を報じるのかというと、大衆がそれを欲しているからということになる。不倫問題を他人のやらかしというエンタメとして楽しんでいるのだろう。

 

個人的には他人の家庭の話なので正直どうでもいいし、当人も無関係の大衆に謝罪する必要はないと思うので、なぜ毎回炎上するのか不思議だ。

 

フランスの元大統領が不倫を報じられた時、「で、それが何か」と言ったのは有名だが、そう考えると不倫バッシングがここまで燃え上がるのは日本人の価値観や本能に由来するのかもしれない。

 

もともと個人の自由よりも集団の秩序を重視しやすいいわゆる村社会と言われる日本。これが歴史的にどこからそうなったのかは分からないが、集団の秩序(倫理や法)を破る危険性のある個体を排除しなければ全体が危機に陥るから、そういう個体が生き残りやすかったのかもしれない。

 

つまり、他人の不倫をバッシングするのが気持ちいいと感じるように進化圧が働いてきたのではないかということだ。

 

不倫に限らず、法を犯したものは司法によってのみ裁かれるはずなのに、容疑者の同級生に取材したり実家に押しかけたりして一般人が叩く材料を与えるのも、人が本能的にそれを欲しているからというのが大きいのかもしれない。

 

さて、皆さんはどう思うでしょうか。

やったことない事をやると自分の境界が広がる、という話

やる前はとても不安で自分にできそうにないと思えるけど、いざやってみると事前に思っていたほどハードルは高くなかったと思える事はたくさんある。

 

初めての海外旅行はカナダに一人旅をした。突然ナイアガラの滝を見たいと思い立って実行したのだが、行く前は無事に帰ってこれるのか正直不安だった。けど帰りに成田空港に降り立った時は「なんだ、ちゃんと行って帰ってこれるじゃん」とちょっとした自信を覚えた。

 

無職になった時も、なる前は不安だったりこの先ずっと自分にできる仕事なんてないんじゃないかと思った。しかしいざなってみると不安はそこまでではなく、淡々と次の仕事を探せたし、たまに貧乏旅行をしてそれはそれで楽しかった。

 

今は海外で働いて生活しているけど、これだって最初は自分にできるって思ってもなかったし、そんなことができるのは一部の度胸があって外国語に堪能でめちゃくちゃ仕事ができる人たちだけだろうなんて思っていた。けどそんな特別な能力がなくても結局何とかなった。

 

こういう、やる前はとても難しそうに思えても、一度やってしまえば実はそんなに難しいことではないと思うことってたくさんあるのだろう。これは自分の境界がどんどん広がっていることを意味する。物理的な境界ではなく、経験したことある事の境界。

 

もちろんまだやったことない事もたくさんあって、例えばバンジージャンプ

 

正直、想像すると怖いし、自分にできるとは思えない。けど、やった事ある人から見れば別に誰にでもできると思える事なのかもしれない。いつかやるかもしれないし、ずっと勇気がでずにできないかもしれない。

 

ただ、思い立って一歩だけ境界の外に出ると、その踏み出した一歩が次は自分の境界内になる。そしてまた一歩だけ踏み出す、ということを繰り返すと少しずつ世界が広がって人生も充実していくのではないだろうか。

 

偉そうに言ってないでバンジーやってみろと言われると返す言葉もないが。

 

さて、あなたはどう思うでしょうか。